何を祈るのか.祈りにはいろいろあります。感謝の祈り、賛美の祈り、主の祈りとあります。
執り成しの祈りもあります。自分の家族のための祈り、その町のための祈り、世界の平和、救いの祈りをします。

私の場合は、主の祈りから入ります。父なる神があがめられますように、イエス様の御名があがめられますように、聖霊の御名があがめられますように、世界が平和でありますように、健康でありますように,幸いであるように.紛争あるところには,紛争が止むように。と祈ります。同じことですがこのことばを10回ほどくりかえします。

イザヤ56:7
わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。

この祈りの家とは教会のことです。まさしく教会は祈りの家なのです。

1サムエル12;23
私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。
私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。


祈りをしないことは罪だと聖書は教えます。ですから絶えず祈るのです。

マタイ14;23
群衆をかえしたあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。

イエスもよく祈られたようです。

ダニエル6:10
ダニエルは・・・彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝をしていた。

ダニエルは、日に三度、神の前に祈ったと出てきます。また感謝を忘れない人でありました。

マタイ26:41
誘惑に陥らないように,目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。

なぜ祈るか?それは誘惑に陥らないためです.
これはイエスのおすすめです。イエス自身もよく祈られました。弟子たちも「祈りを教えてください」とイエスに言いました。
祈りとは呼吸のようなものです.呼吸が止まれば死んでしまいます。それと同じく祈りは必要なのです。

マルコ1:35
さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所に出て行き、そこで祈っておられた。
ここではイエスの、早朝の祈りです。
また人に邪魔されないところ、気の散らないところで祈られたのです。

ルカ18;1
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために・・・

私たちもいつも祈るようにしたいものです。また時間を決めて祈るのも一つの方法です。

ルカ21;36
しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。

主の再臨がいつあるかわかりません。また人の命もわかりません。その時、慌てることのないように祈っておきたいものです。

主の祝福が一同の上にありますよう