ダビデはイスラエルの王です。王,自ら上着を脱いで主の前に喜び踊りだしたと出てきます。私たちも周りを気にせず主の前に賛美したいものです。
日々の生活においても笑顔は必要です。笑顔は幸福を呼びこみます。
ある商売をしている人の話です。人気が薄れ商売がうまくいかなくなりました。そこでアメリカの本社に相談したそうです。するとこう言われたそうです。「商品の見直しと、それからスマイルを忘れないように」と、この人はこれを実行してまた商売が繁盛したそうです。
ローマ5:1,2
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
これはパウロの証です。なぜ喜ぶのか。
①信仰によって義と認められていることを喜ぶ。
②私たちの主イエス・キリストによって神との平和を持っていることを喜びます。
③神の栄光を望んで大いに喜んでいるのです。
ロ―マ12,11,12
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
何事も勤勉は大切です。勤勉は信用を得るからです。
1, 主に仕えることの喜び,をいつも持ちたいものです。
2,信仰者でも患難はついてきます。その時でも主にあって喜ぶのです。
ローマ14:17,18
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
「神の国とは飲み食いだけのものではありません。」というのです。聖霊による喜びを持ちたいものです。日々の生活で不服不満では聖霊の喜びはありません。神と、人との正しい関係が大切です.。
またキリストに仕える人は神に喜んでいただけるというのです。キリストに仕えるとは御言葉の実行です。聖日礼拝を守りましょう。
Ⅱコリント6:9;10
人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでもすべてのものをもっています。
キリスト信仰者は貧しいようですべて持っていますというのです。
また悲しんでいるようでもいつも喜んでいるというのです。
ヤコブ5:13
あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか、その人は祈りなさい、喜んでいる人がいますか、その人は賛美しなさい。
喜んで神を賛美するということでしょう。
賛美は神が喜ばれることです。苦しんでいる人は神に祈りなさいと薦めています。
礼拝の賛美は主が喜ばれることです。大いに心から賛美をささげましょう。
主の祝福が一同の上にありますように。