これはパウロの証しです。私たちはパウロのような苦難にはあっていません。パウロは学者です。博士です。学校の先生でもしておれば豊かな生活は出来たでしょう。しかしパウロはあえてキリストのために宣教のために苦難の道を選んだのです。
悪いことをすればむち打たれても仕方のないことです。しかしパウロは福音のためにムチ打ちされたのです。その時パウロはキリストの苦難を共にしていたことでしょう。

Ⅱコリント11:24,25
ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちを打たれたことが三度,石で打たれたことが一度、難破したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

パウロは苦難の連続です。普通ならば宣教をあきらめるかもしれません。しかし彼は前進するのみでした。ただキリストの福音のためにです。

Ⅱコリント11:26
幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、

ここでもパウロは困難続きです。神の守りがなかったのかと疑うこともあったでしょう。

Ⅱコリント11:27
労し苦しみ、たびたび眠れぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

私たち伝道者はどうでしょう。苦難と言って食べ物がないことはなく、裸でいたこともなく、住むところもあり三度の食事もしております。
パウロの通った道はなんとひどいことでしょう。それでも文句は言っていないのです。
すべてキリストのために尽くしてきたパウロです。

1コリント15:19
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れなものです。

パウロの望みは復活の命です。御国の望みです。
パウロはこれに自分の生涯をかけました。
Ⅱコリント12:1
無益なことですが、誇るのもやむを得ないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前にー肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存知ですー-第三の天にまで引き上げられました。

パウロは第三の天にまで引き上げられたと言っています。私も夢、幻の中で第三の天を見せていただきました。それは御使いたちがある一定方行に向かって礼拝していました、また地上では聞いたことのないすばらしい音楽も聞かせていただきました。天国はあるのです。また地獄もあります。私たちはキリストにあってみんな天国へ行くのです。ハレルヤ!

使徒26:18
『それは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なる者とされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

この世はサタンの支配下にあるのです。というのは偶像礼拝者が多いからです。しかし神はキリスト・イエスにあって開放してくださる方なのです。
主の祝福が一同の上にありますように。