患難とは困ったことが起こるということですが、だれしも経験することです。神のしもべはその困難に耐えていくのです。そこに忍耐が必要なのです。
	
	「忍耐が練られて品性を生み出し」とありますが、忍耐とは少しの我慢です。忍耐が練られると品性が生み出されるとありますが、この品性はキリストの香りなのです。
	
	神のしもべは練られてキリストの香りを放つようになるのです。ですからすべて神に感謝しなければなりません。文句を言ってはならないのです。神にゆだねて行くのです。
	そこに神への信仰が生まれて来ます。
	
	ヨハネ16:33b
	あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
	
	これはキリストの言葉です。キリストは神の子でありながらいろんな患難に会いました。最高の苦しみは十字架です。それも人の罪をあがない、人々を救うことでした。それに比べたら私たちの患難は微々たるものです。
	
	キリストは言われます。「この世にあってはいろいろ患難があります。しかし勇敢でありなさい」と、私達はキリストにあって勝利をしていくのです。神は死んだ者の神ではありません。今も生きておられる神です。そこに神への信仰が沸いて来るのです。
	
	Ⅱコリント4:17
	今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
	
	鉄は火に焼かれ、打たれて強くされます。私たちは患難を通して信仰が強くされていくのです。
	
	ローマ5:3b
	患難さえも喜んでいます。
	問題があっても喜べということでしょう。いつも主にあって喜びましょう。
	
	ローマ2:10
	栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、善を行うすべての者の上にあります。
	この善とはキリスト信仰です。神との平和、人との平和があるのです。
	
	Ⅱテサロニケ1:4
	それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
	
	これはパウロの手紙です。テサロニケは迫害や、嫌がらせがあったのでしょう。そんな中でも主にあって耐えることをパウロは薦めています.私達には,今は嫌がらせがあっても迫害はありません.感謝です.問題があっても倒れません.主の手に委ねているからです。主の助けがあるからです。
	
	ローマ5:1,2
	ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
	
	私達はイエスを信じる信仰によって義と認められたということです。
	信仰によって神との平和を持っているということです。 神の栄光を望んで大いに喜んでいますということです。