創世記のヨセフは、兄たちによって、奴隷として売り飛ばされました。しかし、.
「主が彼とともにおられたので」という言葉です。神がともにおられたらどんな場合でも幸運な人なのです。皆さんはいつも主と共にいますか、主と共にいるなら、その人は幸運な人なのです。あなたがいつも祈りの中で、賛美の中にいるなら主も共におられます。

「ヨセフはそのエジプ人の家にいた。」ということばです。あなたはいつも所属教会にいますか。そうでないとあなたは蚊帳の外です。

「主が彼と共におられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださったことを見た。」という言葉です.
> ヨセフはエジプトに売られて行きましたが主が彼をいつも成功させてくださったことを主人は見たのです。私たちも主と共にいるならいつも主の勝利を見ることができるのです。私たちも主と共にあるならいつも成功者なのです。

ヨセフは兄弟たちに売り飛ばされましたが、神が共におられたのでエジプトで大臣の座に着いたのです。やがて、世界中に飢饉が来たとき、ヨセフは親,兄弟すべてをエジプトに招いて養いました。

私たちも主と共にあるなら豊かになっていくのです。今は苦しいかもしれませんが
私たちは勝利者なのです。主に祝福されているのです。

♪:勝利者が私の内に、勝利者が私の内に、生きています。勝利者が私のうちに、歌と踊りで主の戦いを,一緒に戦おう。主の勝利、主の勝利、主の勝利、主の勝利、

この賛美を教えてくれたのは私の恩師である西原博先生です。今は天国にいておられます。

ヨナは神に背いたために大暴風に会いました、しかし悔い改めて伝道したのでニネべの人は救われました。

一方ヨセフは兄弟に裏切られたけれど兄弟を愛しました。父なき後もヨセフは兄弟にやさしい言葉をかけました。

私たちもこのヨセフのようになりたいものです。どんな時も赦しと愛が必要なのです。

創世記39:7、8
これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「わたしと寝ておくれ。」と言った。
しかし彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。・・・」

ヨセフは奴隷としてエジプトに売られて行ったのですが、ヨセフは何事も忠実だったのでやがてエジプトの総理大臣にまで出世をしました。しかしヨセフはどんな場合でも善悪をわきまえる人だったのです。
に遇います。金の誘惑、それに異性の誘惑もあるでしょう、しかしどんな場合でもヨセフのように善悪をわきまえ、神に忠実でありたいものです。これこそ人生の成功者なのです。

ヨセフは祈る人でありました。それで神もヨセフと共におられたのです。
私たちも、神の御名があがめられますようにと祈ります。イエスの御名がたたえられますようにと祈ります。聖霊の御名があがめられますようにと祈るのです。また,世界に平和があるようにと祈り、人々が幸せであるようにと祈ります。紛争あるところには争いが収まるようにと祈ります。これが私たち祭司の務めなのです。