アブラハムが99歳になった時に子供が生まれたのです。その子をイサクと名付けました。イサクとは笑いが止まらないという意味です。よほどうれしかったのでしょう。しかし」神は「その子イサクをわたしにささげなさい」と言われたのです。一人っ子ですから跡継ぎはいません。しかしアブラハムは神様に従ったのです。
神様はご自身の一人子をこの世に遣わされました。その子がイエス・キリストです。
キリストは十字架にかかられました。人々の身代わりの十字架です。
Ⅱコリント8:5b
まず自分自身を主にささげ、
キリストは私のためにささげ物となられました。それゆえ、私たちも自分自身を神に捧げる必要があります。これを献身と言います。
神への賛美のささげ物もあります。祈りのささげ物もあります。これは毎日です。
「神があがめられますように」と祈ります。
「イエス様の御名があがめられますように」と祈ります。「聖霊の御名があがめられますように」と祈ります。次に、「世界が平和であるように」と祈るのです。「人々が健康であり、幸せであるように」と祈ります。毎日です。
これが神へのささげ物であり,祭司の務めなのです。また神のしもべの務めでもあるのです。
エズラ2:68
神の宮のために自分から進んでささげ物をした。
また献金があります。これらの物は進んで喜んでささげるものでありたいです。
エペソ5:2
また愛のうちに歩みなさい。キリストもあなた方を愛して、わたしたちのために,ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
私たちもキリストにならって神への香ばしいささげもので、ありたい者です。
1テサロニケ3:9
神にどんな感謝をささげたら良いでしょう。
神へのささげものには、感謝のささげ物があります。不平、不満ではなく、いつも神に感謝をささげたいものです。
ローマ12:1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
霊的な礼拝とは、心を尽くし、思いを尽くし精神を尽くし,力を尽くして礼拝することです。神は形式的、口先だけの礼拝は喜ばれません。神はあなたの心を見ておられるのです。
1ペテロ2:5
あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
石とはイエス・キリストを現します。霊の家とはキリスト教会のことだす。
祭司とはすべての神の子たちすべての信徒のことです。すなわち私たちです。日々神へのささげ物になっていますか。