シャレムの王とはイエス・キリストを現します。イエス・キリストは祭司の務めを持っておられます。そして彼は大祭司です。私たちのために神に執り成しをしてくださっているのです。
祭司とは神に仕える人です。また神に選ばれた人でもあるのです。何も祭司は牧師だけとは限りません。信徒も神に仕える祭司であります。
また祭司は執り成す務めがあるのです。世界平和のために、人々が健康であるように,紛争あるところには紛争が止むようにと祈ります。これが祭司の務めなのです。
祭司とは神に選ばれて神に仕える人です。皆さんが神の祭司です。祭司は御言葉に従って歩む人です。ですから聖書の言葉を蓄えておきましょう。
レビ6:10 a,b
祭司は亜麻布の衣を着なさい。また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。
この亜麻布とは謙遜を現しています。
祭司はいつも謙遜でなければならないのです。神の前にも、人の前にもです。
レビ記6:12
祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。
祭壇とは祈りを現しています。火とは聖霊を現し、聖霊による祈りが必要です。
祭司は朝ごとに祈ることが必要です。祈りは個人の祈りもあれば、教会での祈りもあります。
和解の祈りもあります。祈りには犠牲の祈りもあります。祈りの時間を、取っておきましょう。
祈りは全身全霊で祈るのです。これが犠牲の祈りで、神へのささげものなのです。
ヘブル2:17
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは、民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
キリストは神でありましたが,人と同じ姿となってこの世に来られました。それは人の弱さ、痛み,苦しみを取り除くためでありました、
ヘブル8:1、2
以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。
この大能者とは神様のことであり、キリストはその右の座につかれたのです。
そして私たちのためにとりなしをして下さっているのです。ですからキリストは人を裁く裁判官ではなく、弁護士の務めを持っておられるのです。
ですから私たちもキリストにならって人々のために、国々のためにとりなしをしていくのです。これが祭司の務めなのです。
主の祝福が一同の上にありますように。