花でも踏まれると嫌なにおいを出すものがありますが、ユリの花は踏まれるといい香りを放つのです。ですからユリはイエス・キリストを現しています。私たちはどうでしょう。
よい香りですか、悪い香りですか。キリストにあるなら、よい香りが出るはずです。
雅歌1:3
あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。
このあなたとはイエス・キリストです。おとめとは神のしもべたちのことです。
すなわち私たちのことです。
雅歌1:12
王がうたげの坐についておられる間、私のナルドはかおりを放ちました。
ここで、王のうたげとは、礼拝の姿です。ナルドとは聖霊の臨在を現しています。
雅歌5:13
その頬は、よいかおりを放つ香料の花壇のよう。くちびるは没薬の液をしたたらせるゆりの花。
「その頬は」とは聖徒たちの神への礼拝の姿勢です。良い香りを放つ香料とは、神への賛美です。唇は没薬をしたたらせます。ゆりの花とは、聖徒の神への祈りの姿です。
Ⅱコリント2:15,16
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです.このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
神のしもべは、キリストの薫りをいつも放っていなければなりません。世の人々とは分別されているのです。救われる人とは神に仕える人たちです。[滅びる]というのはイエス・キリストを否定する人のことです。また、死に至らせる言葉もあれば,キリストの言葉は人を生かす言葉なのです。ですから聖書の言葉をたくさん心にたくわえることが必要なのです。
ヨハネ12:3
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛で、イエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
香りでも、愛の香りは最高です。イエスの足にナルドを塗ったとは、マリヤの信仰と謙遜です。私たちも信仰と謙遜が必要なのです。
エペソ5:2
また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
キリストの十字架は神に対する神へのささげ物だというのです。私たちは礼拝において神への賛美において、最高の礼拝をささげなければなりません。神はその礼拝を喜んでくださるのです。形式、儀式ではないのです。
ピリピ4:18
私は、すべての物を受けて、満ち溢れています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
神へのささげ物も忘れないように.