今日の題は「愛は素晴らしい」です。親子の愛、兄弟の愛、隣人の愛があれば、争いはありません。国と国においても同じことが言えます。紛争のある国は気の毒です。
この隣人愛をもちいたいものです。「たとい害を受けても仕返しをしてはいけません」と聖書は薦めます。仕返しをするから争いがエスカレートとするのです。

ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

「神は愛です」とありますが、私たちのために、その一人子イエス・キリストをこの世に送り、私たちの身替りとして十字架にかかられたのです。これは神の愛です。
犠牲の愛です。信じられますか。

キリスト・イエスにあって、割礼を受ける、受けないのは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。

言い替えれば洗礼を受けた、受けてないというのは大事なことではなく、「愛によって働く信仰だけが大事なのです」ということができます。

ピリピ1:8
私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。

これは伝道者パウロの証しです。「キリスト・イエスの愛をもって」と言っています。
キリストの愛とは、私たちのために十字架に、かかられた神の愛です。罵られても、ののしり返さず、あざけられても腹を立てず、それは神の愛の心です。

1テモテ2:15
「信仰と愛と聖さとを保つなら」という言葉です。信仰者は、この信仰と愛と聖さが必要です。

1ヨハネ4:18
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締めだします。

トラを飼っている家庭がありました。寅の小さい時から飼っていると猫と同じです。
主人とじゃれあったり、子供とじゃれあったりと、ほほえましい光景です。愛には恐れがありません。

1ヨハネ4:7,8
愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。
愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。


愛の本質は、神から出ているのです。神そのものが愛だからです。

1ヨハネ4:9―11
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。