これはバプテスマのヨハネへの預言ですが私達にも当てはめることができます。私は摂津市で伝道しています。人口は8万6千人です。この人たちに福音を伝えるのが私の務めなのです。また人々が救われることを祈っていきたいものです。

「荒野で叫ぶ者の声がする。」伝道しても荒野で叫ぶ声のようです。人々は無関心、無反応です。そのような中でも人々は少しずつ救われてきています。

「主の道を用意し」という言葉です。主の道とは「福音」のことでこの良い知らせを伝えることです。イエスを信じると救われるという良い知らせです。

「主の通られる道をまっすぐにせよ」。という言葉です。この真っすぐとは、信仰のことで素直にイエスを信じることです。

すべての道はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。
この山と丘とは人の心のことで、高ぶりの山、高慢の丘のことです.主は謙遜な人を喜ばれるのです。曲がったところとはひねくれた心のことで素直な心が必要です。

でこぼこ道とは、これも人の心のことで、喜んだり悲しんだり、とにかく心の激しい人のことで、心に不安を持ったり失望したりと・・心の不安定な人のことを現しています。

ルカ3:6
こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。

主の恵みは主を信じる者に平安を与えてくださるから感謝です。この平安は神から来る平安です。

ルカ3:7
それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。
「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。


バプテスマとは洗礼のことでヨハネは悔い改めのバプテスマを説いたのです。

「まむしのすえたち」とは人の心のことを言っています。それほど人々の心は醜いものなのです。

ここでは悔い改めにふさわしい実を結べと薦めています。」

私達は神の怒りから逃れることはできません。ただ一つイエスを信じることです。

「イエスを信じたら実を結べ」と薦めています。これは行いです。イエスを信じていても行いがなかったら信仰は死んだものと同然だからです。ヤコブも言います。
行いのない信仰はむなしいと(ヤコブ3:20)

皆様の上に神の祝福がありますように。