神に対する信仰はありがたいものです。私には腰の痛み、目のぼやけ、それに耳の難聴もありましたが、しかしイエスに対する信仰によって癒されたから感謝です。
ハバクク2:4
見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
ここで「まっすぐでない」とは不信仰な人のことです。ここで「正しい」とはイエスに対する信仰を持っている人のことです.信仰者とはイエスと共に歩む人のことです。
マタイ9:29
そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。すると、彼らの目があいた。
イエス様は盲目の人々を癒されましたが,イエスは「わたしの信仰によって」とは言わずに、「あなたがたの信仰によって」と言われています。いかにイエスに対する信仰が大切かを教えています。
マルコ10:52
するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」
救いもイエスに対する信仰です。イエスに対する信仰がないと救われません。これが聖書の教えなのです。
ローマ1:17
なぜなら、福音のうちには神の義が掲示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
福音とは良い知らせという意味です。この福音はイエスを信じると罪が,赦されて救われるという良い知らせです。これが神の啓示なのです。義人とはイエスを信じて救われた人のことです.私達、神の子はイエスを信じる信仰を守り続けることによって生活するのです。
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
神はすべての人に信仰を求めておられるのです。ですから、いかにイエスを信じる信仰が大切であるかが分かります。信仰とはイエスを信じて従うことなのです。
ガラテヤ5:6
キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。
ここに「愛によって働く信仰」と出てきます。
神は愛なる方なので「愛によって働く信仰」が必要なのです。
ローマ4:7,8
「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」
「不法を赦され、罪を覆われた人たち」とはイエスを私の救い主と信じた人達のことです.主が罪を認めない人もイエスを信じた人です。「罪がない。」とはなんとありがたいことでしょう。不信仰になってまた罪を持たないようにしたいものです。「あなたの罪、咎はキリストの十字架につけられました。」これが神の愛なのです。ですからキリストと共に生きるのです。
主の祝福が一同の上にありますように。