愛にはいろいろあります。自分を愛する愛、親子の愛、友達の愛、兄弟愛、男女の愛、隣人愛、それに神の愛です。
愛があれば戦争は起きないのに世界を見れば、いろいろな所で戦争が起こっています。
いま日本は戦争のない平和な国ですが80年前は日本も戦争をしていました。その時、日本は負けて悲惨な目にあいました。[もう二度と戦争はしない]と固く誓いました。それ以後、日本の平和があるのです。
愛は他人を赦すことで愛が生まれます。
神の愛は無限の愛です。その愛に私たちはお答えしたいものです。キリストの十字架は神のそのひとり子の犠牲の愛です。神々ではないのです。唯一の神、天地創造の神です。
教会での礼拝はその神に対して私たちがお答えするものです。神をたたえるのです。
神への感謝を表すものなのです。
1ヨハネ3:2
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
もともと私たちは神のものであり、神の子どもです。その神を見失っているのです、
小さい子供がお人形さんに、「わたしのパパ、私のママ」と言っているようなものです。
対象がずれているのです。いまの時代いつ主の再臨、終末が来るかわかりません、心して主を待ちたいものです。
キリストが現れると私たちはキリストに似た者になるとあります。キリスト信仰者はありがたいものです。もう苦しみも悲しみもありません。また心配もありません。
キリストと共に空中に引き挙げられるのです。
今、キリストは見えませんが私たちのうちに聖霊となって住んでくださっているのです。その時になれば本物か偽物かが分かるでしょう。
1ヨハネ3:23
神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
神が命じられておられることは、私たちが互いに愛し合うことだということです。
1, 譲り合う心が必要です。いわゆる謙遜です。自転車にしても車にしてもこの譲り合う心が大切なのです。譲り合う心がないと事故を起こすのです。
2, 強情を張らずにキリストに従う心です。キリストの愛を受け止めていく心です。
神の愛を受け止めていく心です。「親の心、子は知らず」という言葉があります。
キリストはあなたを愛しておられます。素直に聞き従う心をもちたいものです。
『牧師の心,信徒は知らず』です。愛すればこそ祈るのです。愛すればこそ声をかけるのです。今度は皆さんが神の心をもって人に声掛けをするのです。また救われるようにと祈るのです。これがキリストの愛です。
1ヨハネ3:24
神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。