贖われたという言葉ですが、これは買い取られたという意味です。代価をもって買い取られた。すなわちキリストの十字架です。キリスト信仰はそれを受け取ることです。
無代価で。

私たちを導いてくださる方は御言葉でありキリストです。御言葉を毎日読みましょう

ヘブル4:15
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

この大祭司はイエス・キリストです。この方は私達の弱さを知っておられます。
ですから悲観することはありません。面倒を見てくださるのです。悔い改めて前進すればよいのです。あなたが赤子なら仕方ありません。

ヘブル4:16
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

ヘブル12:15
そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が目を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように。

総監督はイエス様ですが、心の監督は、あなたです。他の人ではありません。
ですから自分で自分を監督するのです。

ヘブル13:9
恵みによって心を強めるのは良いことです

ローマ5:2
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

この作者はまず自分が救わていることを喜んでいるのです。神の恵みによって信仰が与えられていることも喜んでいるのです。今あるすべて神の恵みと喜んでいるのです

箴言31:26
彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みの教えがある。

男性でも女性でもいらんことを言って人を傷つける人がいます。聖書では無駄口をたたくなと教えています。人にためになることは言いましょう。次に恵みの教えとありますが、その人が自分と同じ失敗しないように教えてあげることは大切です。
それが料理にしても買い物にしてもです。

私たちは父や母の教えがあって今の私があるのです。それに先輩方の教えも含まれます。
今度は私が教えていくのです。

1コリント13:13
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

私たちが残していかなければならないのは信仰と希望と愛とあります。まずイエス様に祈ることを教えましょう。イエスは喜んでくださいます。次に希望です。望みです。
夢です。夢も望みもないところに何の期待も持てません。もうすぐ選挙がありますが希望のある人に一票入れたいものです。次に愛です。聖書では愛が最高の教えです。
主の祝福が一同の上にありますように。