羊を百匹、持っている牧者の話です。そのうち一匹が迷い出たというのです。羊は集団生活です。教会も信徒の集団生活です。
牧者は信徒がひとりでは信仰が守られないことを知っているからです。それで捜すのです。イエス様もご自分をあがめる信仰者を捜しておられます。
マタイ18:13
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
この心配は親心ではないでしょうか。
子供は家に帰って来て当たり前です。もし帰って来なければ親は探し回ります。教会も同じことが言えるのです。皆さん、親に心配かけないようにしましょう。皆さん、牧師に心配かけないようにしましょう。皆さんイエス様に心配かけないようにしましょう。
マタイ18:14
このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
雇われ人は探しません。関心がありません。牧者は探すのです。羊の所有者はもともと牧者のものだからです。教会も同じことが言えます。雇われ信者は教会に関心がありません。自分の教会と思っていないからです。しかし牧者は違います。教会に重荷を持っているからです。
民数記14:33
あなたがたの子どもたちは、この荒野で四十年の間羊を飼うものとなり、
私も牧会を初めて四十四年たちます。その間、山あり谷ありでした。然しすべて神の守りがあればこそ牧会ができたのです。感謝しております。これからも神は教会を守ってくださるでしょう。
マタイ25:31
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
人の子とはイエスキリストのことでしょう。
キリストは栄光を受けてもう一度来られるのです。
マタイ25:32
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そして、王は、その右にいる者に言います。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。・・・」
神に喜ばれるのはヤギではなく羊なのです。みなさんは羊ですか、それともヤギですか。
神に忠実な羊は神に祝福されます。しかしヤギは捨てられるのです。
ヨハネ10:9―11
わたしは門です、だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊が命を得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます。
キリストは私たちを救うために命を捨ててくださったのです。