祈りというものは必ず目を覚ましてというものではありません。ペテロは祈りの中で夢心地になってと出てきます。ウトウトとしながら祈っていたのです。そうすると幻を見ました。私も家で夢心地になって祈っていた時、聖霊を受けました。
祈りに姿勢は決められていないのです。というものの祈りには、立って祈る祈り、座って祈る祈り、ひれ伏して祈る祈りとあるのですが、歩きながら祈っても良いのです。皆さんはどんな姿勢で祈っていますか。
使徒11:6,7、8
「その中をよく見ると、地の四つ足の獣、野獣、はうもの、空の鳥などが見えました。
そして、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。』と言う声を聞きました。」
ペテロにはまだ旧約の律法があったのでしょうか。ペテロは言います。「そんなものは今までも食べたことがありません。」
神がペテロに示してくださったのは、何も食べ物だけではなかったのです。
「人種差別をしなさんな」ということでしょう。異邦人に関心がなかったペテロに対して、神の福音はすべての者に、神の恵みはすべての人に届いているのです。神の愛は全人類に及んでいるのです。
使徒11:20、21
ところが、その中にキプロス人とクレテ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。
ギリシャ人というのは、哲学的な思想に強い人です。今でいうと学校の先生、お医者さん、お坊さん、警察官と伝道するには、なかなか難しい人たちです。その人たちが続々救われてきたのです。まさしく主の働きです。S教会のYsannmo警察官ですし私も坊主の息子です。
使徒11:25・26
バルナバはサウロを探しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。
そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
クリスチャンとはキリストの弟子ということです。あなたはクリスチャンですか、クリチャンなら教会に集まるのです。
使徒11:27
そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
預言者というのは神の言葉を預かった人たちです。また神が預言者たちを通して人々に語られたのです。神の言葉をいただいているなら神の預言者なのです。
ですから神の言葉を聞き流してはいけないのです。神の言葉を聞いて人々にその教えを流すならよいでしょう。そうするとあなたは神の預言者なのです。
使徒11:28
その中のひとりでアガポという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
今の時代、終末とか、主の再臨とかが叫ばれています。たとえそれが今すぐとは限らないにしても、人生の終わりは誰にでも来るのです。心してイエスを信じておきましょう。
そして人々の救いのためにまた、教会のためにも祈ってください。
主の祝福が一同の上にありますように。