聖霊が降ることはイエスが十字架にかかる前に弟子たちに約束をしておられました。
弟子たちはイエスの言われたことを信じて祈って待っていたのです。私たちも聖霊を受けようと思う者は祈って待つべきなのです。主は祈り求める者には聖霊をくださるのです。
使徒2:17、18
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。』
終わりの日とは,終末のことです。案外、主の再臨は近いかもしれません。気を引き締めて主の再臨を待ちたいものです。皆さんは教会をおろそかにしていませんか。
使徒2:19、20
『また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇となり、月は血に変わる。』
それは血と火と立ち上る煙であるとはおそろしい光景です。原爆によってあるいは水爆によってでしょうか。世界第三次世界大戦でしょうか。恐ろしいことです。そんなことが起こらないように祈りたいものです。
使徒2:21
しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」
救いは主にあります。心してイエスを信じておきたいものです。
使徒2:25
ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。・・・』
「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。」ダビデはどんな場合でも主イエスを見ていたのです。私たちも問題があるとき、問題にとらわれず、主を見ていきたいものです。
使徒2:26
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
聖霊を受けると神がともにおられることがよくわかります。ですから聖霊を受けることが大切なのです。神の聖霊を無視してはいけません。
使徒2:37
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
神の聖霊はあなたのたましいの保証をしてくださるからです。そして主にある者は決してお見捨てになりません。
使徒2:38
『あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
同じ一生でもつぶやきと不服の一生ではなく、喜びと感謝の一生を送りたいものです。
今日は聖霊降臨日です。神からの聖霊を受けて、喜びにあふれた教会生活をしましょう。主の恵みが一同の上にありますように。
アーメン