これはキリストについて預言者イザヤが言った言葉です。小羊は神にささげられるものとして引いて行かれました。キリストも十字架を担いでカルバリ山に登られました。
ただ黙々と、私たちの罪のためにです。神にささげられた小羊として、です。
使徒8:33
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼の命は地上から取り去られたのである。」
彼とはキリストのことですが、まさしく彼は、人々からつばきをかけられ、鞭うたれ、あざけられ、また、まともな裁判もしてもらえず、キリストは十字架刑にされたのです。
使徒9:1
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
サウロは迫害者です。主の弟子たちを縛り上げて捕らえにかかるのです。その許可を当時の大祭司に手紙を出します。日本でもキリシタン禁制がありました。長崎に引いて行かれた26聖人は有名です。その中に子供もいたということです。
使徒9:3、4
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
サウロは今日も勇んでキリスト狩りに出かけるのですが、その道中で天からの激しい雷に打たれるのです。そして天から声が聞こえてきます。「サウロ、サウロ」と二度の呼びかけです。主からの声は憎しみではなく愛のこもった呼びかけです。「なぜわたしを迫害するのか」と。
実は神のしもべをいじめることは主を痛めつけているのです。私たちクリスチャンは神のしもべです。たとえ非難があってもそれは私ではない、主に対して批難しているのです。
その人のために祈りましょう。
使徒9:20
そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。
迫害者であったサウロは、キリストに出会ってから変えられ、イエスこそ救い主であると宣べ伝えたのです。私たちもキリストに出会うなら変えられるのです。皆さんはキリストに出会っていますか。祈りの中で、賛美の中で、礼拝で、キリストに出会っていますか、キリストに出あっているならあなたは変えられます。
使徒9:21
これを聞いた人々はみな驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いていくためではないのですか。
変えられたサウロに対して人々は口々に言います。「あれはキリシタン狩りをしていた男ではないのか、それなのに今はキリストを主と呼んでいる」と。のちにサウロはパウロと名を改め、やがて偉大な伝道者になって世界中にキリストを宣べ伝えていきます。そして各地に教会堂を建てていくのです。まさしくキリストによって変えられた人でした。