彼のことばとは、ペテロの言葉です。しかし、神のことばでもあります。バプテスマとは洗礼のことです。その日とは一日で三千人の人たちがイエスを信じ洗礼を受けたというのです。ものすごいことです。大リバイバルです。神のことばが働くと不可能が可能になるのです。
使徒2:42
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
教会成長は信徒の交わりです。パンを裂きとは愛餐会のことです。欠かしてはならないことはお互いに祈り合うことです。祈り合うところに神もまた働かれるのです。
使徒2:43
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇跡が行われた。
この恐れとは神を敬う恐れです。祈りが聞かれたというあかしは大切です。それをみんなに知らせるのです。あかしを通して主もまた働かれるのです。
使徒2:44
信者となった者たちは、みないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
教会での献金は信徒の公有財産で、天国貯金です。またキリストの体を建て上げるための資金にもなるのです。
使徒2:46
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
初代教会では毎日教会に集まりました。私たち夫婦も毎日教会に来ています。
御言葉の学びと祈りをしているのです。
使徒2:47
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
教会は世の光として存在します。教会に集うあなたが世の光なのです。
使徒3:1
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
ベテル・キリスト教会でも二時から三時の祈りをしています、火曜日と木曜日です。
使徒3:2
すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
この男の人は生まれながら足の悪い人だったのです。日本は福祉が進んでいるので社会保障がありますから、人から施しを求めなくていいのです。
使徒3:3~7a
彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせた。
神の子は、たといお金がなくても、キリストに対する信仰を持っています。それを相手にあげることができるのです。