神はことばの神です。また神はことばによってすべてのものを造られたのです。
またこのことばとは、イエス・キリストを現わしています。
私たちも言葉を使っていますが、このことばも神から預かったことばなのです。
神は創造的な方ですので、私たちも創造的な言葉を言いたいものです。破壊的な言葉はサタンや罪から出てきたものです。ですから前向きな言葉、積極的な言葉、信仰的な言葉を使いたいものです。
詩篇64:3
彼らは、その舌を剣のように、とぎすまし、苦いことばの矢を放っています。
これは悪者の言葉です。「舌を剣のように」と出てきますが。言葉の暴力もあるのです。
詩篇55:21
彼らの口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。
特に若い男性には女性の滑らかな言葉の誘惑というものがあります。
気を付けたいものです。
詩篇54:2
神よ。私の祈りを聞いてください。私の口のことばに、耳を傾けてください。
これは主への祈りのことばです。私たちが祈る主への祈りは、決して無駄ではありません。主は聞いておられる方です。
箴言15:23
良い返事をする人には喜びがあり、時宣にかなった言葉は、いかにもうるわしい。
人との対話は、はっきりと言葉に出して言うとよいでしょう。人の話しは、しっかりと聞く耳も必要です。腹が立つときがあってもすぐカツカしないで冷静に対処する必要があります。
箴言26:22
陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。
人の批判、陰口はよくありません。かしこれはおいしい食物のようだと言います。
人の批判、陰口を言うものはまた自分にも言われるのです。
マタイ4::4
イエスは答えて言われた。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてある。
私たちが生きていくために食べ物は必要です。それと同じく「心に御言葉がないと私たちの心の霊が餓死しますよ」というのです。
ルカ19:22
主人はそのしもべに言った。「悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取る厳しい人間だと知っていた,というのか。・・・・
私たちは言葉によって裁かれるのです。
ですから日々の生活の中で思いと言葉には気を付けたいものです。
神のことばは生きていて力があるのです。
ですから日々の生活の中で祈りと、ことばは神のことばを告白したいものです。