今100か国ぐらいの言葉があります。それが、一つ言葉であることは便利だと思います。バベルの塔を建てていた当時は、言葉が一つだったのです。ヘブル語でしょうか。

創世記11:2〜4b
そのころ、人々は東の方から移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに、彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名を上げよう。

人々は移住して来てシヌアルすなわちバビロンの地で、今のイラク地方です。そこに彼らは団結して天にまで届く塔を建てようとするのです。

創世記11:4c〜7
われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

神なき人々は散らされるのです。今は信仰の一致、教会の一致を求めておられるのです。
明石海峡はつり橋として世界一です。長さ4kmあります。途方もない、つり橋です。人間の知恵と力はすごいものです。神なき作品ですが、教会も祈りの一致、信仰の一致を持てば、すごいことができると教えているのです。

エペソ4:3-6
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

これは信仰の団結を表しているところです。皆さん、信仰の一致、祈りの一致を持っていきたいものです。

エペソ4:13
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

キリストを信じて神の子とされた人たちは、いつまでも赤子であってはいけません。赤子から子供に。子供から学生に。学生から青年に。青年から大人にならないといけません。
学生とは学ぶ人であり、大人とは今度は人に教える人です。皆さんは今どの過程ですか。

ピリピ2:2
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

牧師を喜ばせるのは信徒ですが、信徒もまた御言葉を通して喜ぶのです。ですから教会は牧師と信徒とは、たがいに持ちつ持たれつです。自分だけ喜ばせてはいけません。主を喜ばせるのです。教会は神の家族です。

ですから教会に集まるのです。主が父とするなら牧師は母であり、信徒は子供たちです。
神の家族は教会に行くのではありません教会に帰るのです。信仰は一つ、志も一つです。