この世には光と闇とがあります。日本は平和ですが、ロシアとウクライナの紛争。
イスラエルとパレスチナの紛争、国民は気の毒です。早く紛争が収まるように祈りたいものです。

家庭においても平和ならば良いのですが、争いとけんかが絶えない家族は大変です。
神の愛が必要なのです。

箴言4:18
義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。

義人とは主にあるしもべです。神のしもべが暗くあってはいけないのです。いつも明るく振る舞いましょう。私たちは世の光だからです。むしろ暗闇にいる人たちに光をもたらしたいものです。

こんな話を聞きました。今東光さんのもとに一人の人が訪ねて来ました。「人が死んだらどうなるのですか?」
今東光さんと言えば天台宗の総長であり、また作家でもありました。今東光さんは答えました。「わしに聞くな」と。
人が死んだら極楽とは言わなかったのです。「わしに聞くな」が答えだったのです。

ルカ16:19―31
ある金持がいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持の食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持も死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。「父アブラハムさま、私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」
アブラハムは言った。「子よ。思い出してみなさい。お前は生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな縁があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです」彼は言った。「父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が5人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」しかしアブラハムは言った。「彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。」彼は言った。
「いいえ、父アブラハム。もし、だれかが、死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。」アブラハムは彼に言った。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」


ここで死後の世界において、聖書は言うのです。神様は良い方ですから、皆様は良い物を一杯受けてください。ただし神様を信じる信仰で神の国に入のです。ここでの金持の家族は聖書があるのに神を信じなかったのです。
一方ラザロは生前、悪いものを受けていましたが、神に対する信仰があったのです。
死後の世界はあるのです。

皆さん、信仰をおろそかにして、この金持ちのようにならないでください。